建築士の日事業 古谷会長記念公演

2024建築士の日事業講演 古谷誠章 日本建築士会連合会会長・早稲田大学教授

テーマ:環境を重ね着する建築-LIVING WITH SURROUNDINGS

  1. モンゴルのゲル

夏は外周壁の下部に通気口を確保し、ゲルの屋根裏まで通風ルートを確保して外周壁もコットン1枚。冬は開口部を塞ぎ、外周壁にウールフェルトを三重に巻き付けて断熱と保温を図る。→自然素材を用いた、外部環境との調和。

  • 沖縄本島備瀬のフクギ並木で囲まれた集落

開口部が大きな開放的な住宅、台風時には住宅を取り囲むフクギ並木により暴風を防ぐ。

(以降は古谷会長が設計した作品の紹介)

  • 土地の傾斜を活かして、風景と応答する家(狐ケ城の家 広島県東広島市 1990)

35歳時に初めて設計した住宅。傾斜地に立地。その傾斜を活用。塀を立てるのをやめる事を提案(外部空間を取り込むことにより借景を確保)。内部は仕切った部屋や外部空間を取り込んだ部屋等により構成されている。四季により寝る部屋も変わる?

雑誌社が25年経過した家を取材したが、間取りの変更は基本的に変わっていない。

  • 住み続ける土地の風景とつながる家(柚香亭 東京都世田谷区 2022)

一番最近に設計した住宅。60代の女性と娘さんの2人暮らしで以前から居住。周りの人とのコミュニケーションを確保する事を意図。敷地内からはスキップしている外側のバルコニーテラスと階段により外部空間が一部遮断されながらも見えている。1、2階に分かれて住む女性と娘さんとも干渉しあわない様に適度なコミュニケーションが確保できる様、1階寝室の窓を低めに取っている。

  • 住民や観光客、子どもからお年寄りまでが出会うワンルーム(小布施町立図書館 まちとしょテラス 長野県小布施町 2009)

建築物はほぼ正三角形で一辺が桜並木に正対。建築物内は基本的にワンルームで麦わら帽子状の屋根が掛かっている。室内天井は南京玉すだれ状の地元産6千本の杉材で構成。向かいのお寺の緑も借景。ここに老若男女がワンルームで過ごす。世代を超えた人たちが共有する空間内で当初心配された小さな子供も静かに過ごす様になった。

  • 回遊する木の学校、地元の木で地元の人がつくる(山我市立鹿北小学校 熊本県山鹿市 2013)

1学年1クラスの小規模校。地元産の杉で地元の工務店が施工できる構法を使用し、建築物はぐるっと回遊できる構造とした。地元材で地元の人が作ったとなると子供たちも大切に使っていく。学校には特に地域材を使うのが非常に重要だと思う。

  • 失われたまちに、ふるさとの記憶を継承(田野畑村 東日本大震災復興計画 岩手県田野畑村 2011)

東日本大震災を契機に、建築士には医者と同じように住んでいた風景を復旧させるという使命があると考えるようになった。

田野畑村は恩師の穂積先生時代から研究室ぐるみで村内の様々な建築物の設計を手がていた。設計した体育館は震災時に救援物資置き場に、集会ホールは避難所として使用されていた。

2つあった大きな集落は被災してしまったので、移転候補地も提案。その提案に併せて漁師さんが毎日顔を合わせられるような一戸建てL型復興公営住宅も提案した。模型を集会所に置いたら、地元の方の評判が良くて実施設計に繋がった。これは東北で第一弾の復興公営住宅となった。

併せて、500分の1の被災地全体の以前の模型を作成した。屋根の色等を地元の方も加わってもらいをみんなで塗っていった。完成後、震災を語り継ぎたいから模型を置いていってくれと地元の方からから要望された。

  • 土地の起伏に沿って、人々の集まる広場をつくる(道の駅田野畑・思惟の風 岩手県田野畑村 2021)

復興沿岸道路の開通に伴い、移転する道の駅を特命随契で受託。町長からの依頼はなだらかな丘の風景に沿った建築物として欲しいという難しいもの。地元の赤松材を使用する事とした。敷地が起伏している事もあって、平面と立面が湾曲している。トップサイドから明かりが漏れる様に設計した。赤松材はそれほど多く利用できないので、見えがかり部を中心に使用した。

  • 移築された木造の旧村長邸を、体験交流の宿泊施設に改修する(田野畑村 生きがいの館・思惟創館 岩手県田野畑村 2020)

8.の道の駅の裏に移築された旧村長邸を現行法規に併せてリニューアル。かなり老朽化していたが使える様に改修した。耐震性向上を目的として外壁の室内側には東大の稲山先生の協力を得て組子格子を組み込んだ。

  1. 高台移転する小学校を、自然の中で学ぶ「森の学校」に(宮城県東松島市 森の学校プロジェクト 宮城県東松島市 2012~)

C.W.ニコル氏(故人)から請われてプロジェクトに参加。森自体から学ぶことを目的として学校の裏側の森の中に授業では実感できない各種施設として展望台、ウッドデッキ、サウンドシェルタ―等を計画した。建設には研究室の学生に加えて地元の人たちも参加。現在も建設中。

  1. 出雲神話のくにを、人々が出会うまちに(島根県雲南市地域再生プロジェクト 島根県雲南市 2007)

少子高齢化、限界集落という全国共通の課題を抱える雲南市をお手伝いした。斐伊川沿いに奇麗な桜が咲き、その時は人が来るが下の商店街が閉店している為閑古鳥状態だった。このため、桜の時期限定で仮設店舗をオープンさせる試みを行った。予算がないのでニードルパンチカーペットだけを学生が敷いて各種仮設店舗を開設した。

これに加えて商店街の道を通行止めにして、100m位のロングテーブルを設置した。そうすると買った食べ物を皆が着席して食べる。次にはそれ、どこで買ったの?という会話が生まれてくる。

これは建築士の仕事か?と言われるかもしれないが、建築士というのはその空間に何を補えばよいのかを考え、想像する町のお医者さん的な要素もあるかと思っている。

1年目は7軒、2年目は14軒、3年目は30軒、4年目は40軒とどんどん商店の出店が増えてきた。また、小さな子供たちも売り歩きたいという要望があったので、学生たちが子供たちでも扱える小屋台(こやたい)を作り、子供たちもイベントに参加している。

  1. 山里の廃校を、住民交流の拠点に(島根県雲南市入間交流センター 島根県雲南市 2011)

同じ雲南市から廃校を利用した交流センターへのリノベ―ション要望を受けた。こういう場所では交流目的でお酒を飲むと帰れなくなるので併せて宿泊施設への改修要望もあった。学生たちの提案として縁側を提案したら実現した。また、壁を取り外して筋かいを新たに設置して向こう側が見える工夫をした。ただの倉庫の壁を取り外したら舞台が出来上がった。昔はこの様な皆が集まる舞台が全国いたるところにあった。公共建築を手掛けるときにはこの様な空間を提案するのも私達建築士の仕事だと思っている。

  1. 多面的に活用する安全な居場所としての市民ホール(氷見市芸術文化館 富山県氷見市 2022)

設計者に選定された直後にハザードマップの浸水レベルが50㎝から5mに変更されてしまった。その時に私が参考にしたのは、広島県三次市の三次市民ホールきりり(設計:青木淳氏)。万が一の浸水の恐れがあるならば5mレベルを持ち上げるという設計提案だった。西日本豪雨の時は1.7m浸水したが、被害は軽微にとどまった。これにならい、5mレベルを上げることとした。

レベルを上げることに伴い、人が出入りできる大階段や荷物搬入用のランプが必要となったが、出水時には周辺地域の住民も避難可能な施設として利用可能にもなるということを氷見市にも理解してもらい、補正予算を組んでもらった。 

この様な公共建築物を設計する時には中高生をはじめとした地元の方にワークショップに参加してもらいアイディアを設計に反映している。今回は彼らの意見を踏まえて舞台・客席が6パターン程に変化して多目的に使用可能となるようにした。壁はコスト削減も考えて音響反射性能を持つコンクリートを使用。パターン別の利用を可能とするため、1セット2t程度の客席の下部に空気を吹き込んで少人数で移動可能となったエアキャスターワゴンを使用した。

3階のホワイエからは富山湾を挟んで立山連峰を望める。氷見市民に取ってはこれが大好きな光景である。

  1. 裏と表がなく、ステージと観客が往還するホール(鹿島市民文化センター 佐賀県鹿島市 2023)

従前のホールを視察した時に、このホールは有名アーティストではなく普段遣いの市民が交流しながら利用するものだと確信した。このため、客席から舞台へ、舞台から客席にグルグル回流出来る様な建築物を構想した。建築物は楕円形となっていて、舞台とホワイエとの仕切りをあけると客席・舞台・ホワイエが一体になるように設計した。上にトップサイドライトを設置したので日中であれば自然光でも演奏等は可能である。こけら落としの時に地元の小学生達が大喜びで踊った。また、その踊っている子達を同級生達が舞台横でも見ていたのが印象的だった。プロの利用はあまり想定していなかったが、N響も公演して音響を誉めてもらった。

  1. 三町合併を象徴する、三角形の市民の広場庁舎(青森県平川市新庁舎 青森県平川市 2022)

公共建築物なので中高生も入れてワークショップを実施。ワークショップの検討結果を踏まえて敷地形状、既存庁舎、駐車場の有効利用等から三角形の庁舎を提案。これからの公共建築設計は発注者からの要望だけではなく、ワークショップにより市民の意見を吸い上げて反映させていていくのも建築士に求められていると思う。窓が波打っているのは風景の山との調和を図る為。

  1. 都会を離れたルーラルワークプレイスと住まい(LUPICIA ニセコビレッジ構想 北海道ニセコ町 2019~)

東京にあった紅茶会社が北海道に移転。CLT補助金を貰ってフレームはカラマツ集成材、屋根と耐震壁がCLTのハイブリッド構造。円形ドーナツ状の形状としたが、中庭には屋根からの雪は落ちてこない無落雪屋根(ギュッとおしくらまんじゅう状に屋根の雪が固まり、内側には落ちない)。中庭側は一定に軒が出ている為、床上に設置している換気口が1年中有効に機能する。夏は羊蹄山が見える場所が特等席。フリースペースとなっている。働いている人がストレスなく勤務し続けられるような配慮が必要。